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シリーズ「戦後60年、戦争遺跡」 Vol.1

間もなく日本の敗戦から60年が経とうとしている。
日本や海外にはたくさんの戦争遺跡があり、後世に伝えていく
貴重な遺産だ。
北海道と南太平洋に眠る戦争遺跡を中心に掲載していく。

北海道別海町計根別(けねべつ)の長閑な牧草地帯を走ると、
忽然と掩体壕(えんたいごう)が現れた。
旧陸軍計根別飛行場跡で、コンクリート製の遺構がしっかりと残っている。

シリーズ「セピア色の札幌」 Vol.3

札幌軟石を使った蔵を利用した和菓子屋。
札幌市内には数多くの石造りの蔵は残っており、
民家や店として再生され始めている

シリーズ「セピア色の札幌」 Vol.2

木造家屋に瓦屋根。
本州などではごく当たり前の光景だが、
札幌では大変に珍しい。
冬はどのように暖をとっているのかなど、余計な心配をしてしまいそうだ。

シリーズ「セピア色の札幌」 Vol.1

札幌の中心部の山鼻地区は下町情緒が数多く残っている。
札幌には珍しい瓦屋根の土蔵。壁面には蔦が絡まる。
パチンコ屋駐車場の片隅に取り残されたようにたたずむ。

今回から札幌・山鼻地区を中心にした
もう一つの札幌の顔を表現してみる。

シリーズ「メキシコの彩」 Vol.5

教会での結婚式の多くは、夕方に行われる。
行進曲は特に無い。新郎新婦は教会見学に訪れた観光客、
一般の祈りの人々の間を静かに進む。
厳かな中で新たな門出が始まる。

シリーズ「メキシコの彩」 Vol.4

古都、グワナファトの夜景。
銀鉱山で栄えた町は、豊富な財力を使い、
教会や劇場を建てていった。今は国内有数の大学街でもあり、
文化的に成熟している。

シリーズ「メキシコの彩」 Vol.3

色彩鮮やかなメキシコの焼き物。
道端や店先に並べられて売られていることが多い。
タスコで撮影

シリーズ「メキシコの彩」 Vol.1

メキシコの大学街グアナファト。石造りの町にも路地の雰囲気溢れる
奥まりがある。店と民家民家が共存している。
昼下がりということもあり、音一つ聞こえてこなかった。



戦争の傷跡 その2

パプアニューギニア・ブーゲンビル島にゼロ戦戦闘機が展示されている。
同島は太平洋戦争の最大の激戦地の一つ。
日本人にとっては忌まわしい戦争遺産は、島の観光資源として注目されている。


戦争の傷跡 その1

戦後60年たった今でも、パプアニューギニア・ブーゲンビル島には
旧日本軍の戦車が未だに放置されたままだ。
同島で分離独立を求める10年近くの内戦が続いていたが、
使用されていた武器に旧軍使用の38式歩兵銃があった。
敗戦と同時に武装解除され埋められていた銃を掘り起こし、使っていたという。



今年は酉年。
干支にちなんでニューギニア島の東半分、西パプアのジャングルで
撮影したオウムをご覧くさい。
昨年は世界中で自然災害が起こりました。
今年は皆様にとっても良い年でありますように。


メキシコ・タスコ
銀鉱で栄えた標高約1800mの街は、コロニアル風の建物が
山肌に張り付くように建ち並ぶ。
教会の十字架は太陽を背に街を見守っていた。



メキシコの死者の日、
オアハカ市郊外の墓地を訪れた。
夕暮れに楽団の鳴らすおどけた吹奏楽のリズム
は不思議と周りの雰囲気とマッチしていた。
日本のお盆のようにお墓を掃除したり、
花を添えたりした後、メスカル(サボテン酒)や
コロナビールを先祖に手向けた。
墓場の天使像が夕暮れにシルエットのように浮かび上がっていた。



メキシコ・オアハカの市場に差し込む光。
市場内の食堂は焼き物の煙に満ち、
天窓の光はサーチライトのようにのびた。
(2004.11.16-11.24)
「国際平和巡礼写真展」
 米国での開催が決まりました。


日時:11月1日(月)〜11月13日(土)
場所:カリフォルニア州ユーカイヤ(ukiah)町
Ukiahbrewing(アトリエ・パブ)
参照HPはhttp://www.ukiahbrewingco.com/です





「i祈りの手」
もんじゅ計画発電前で「核の無い平和な未来」を願った。
祈り、願いで手を組むのは万国共通の仕草だ。

仔羊亭の主で詩人でもある
忠海光朔逝く。
追悼写真展示として、北海道大恵迪寮で行われたライブ時のワンショット
を捧げる。故人のお気に入りの一つで、後に詩ライブのポスターにも使われた。
(1999年4月18日撮影)



写真展の案内
国際平和巡礼」の写真展が決まりましたので、お知らせします


  1. 10月17日−23日(09:00−22:00

    宮越屋珈琲 (函館市港町1-11-24)
    (10月17日blues liveイベントでオープン)

  2.  10月26日- 30日(18:00−23:00)

    公立はこだて未来大アートハーバー (函館市鍛治町2-25-8)
    (10月26日(原子力の日)オープンイベント。毎日ビデオ上映)

  3. 11月1日- 30日(10:00−16:30)

    旭ヶ丘の家総合施設養護老人ホーム (函館市旭岡町78番地)


 札幌で学生アート企画展STEP2で「国際平和巡礼」の写真が一部展示されました。



「核のない未来へ〜国際平和巡礼」その14 広島の原爆ドームと巡礼団

ウランの最大の輸出国・オーストラリアから広島・長崎まで歩き、核廃絶や先住民族の
権利回復、平和などを訴えた「国際平和巡礼」。
無事に広島まで歩き終わった。
長崎では、10日の日の出に合わせ、クロージング・サンライズ・セレモニーで
今回の国際巡礼は幕を閉じた。
だからといって終幕ではない。人から人に思いを紡いでいくことには終わりはないからだ。
未来に向けて人の話を聞き、語り継ぐ。
いかに人類はおろかな歴史に満ち溢れていたかを。



「核のない未来へ〜国際平和巡礼」その13 大地を踏みしめて

ウランの最大の輸出国・オーストラリアから広島・長崎まで歩きながら、核廃絶や先住民族の
権利回復、平和などを訴えている「国際平和巡礼」。
一歩を一歩を積み重ねて、北海道を出発した平和巡礼団はいよいよ広島に入った。
地図上でルートを確かめ、その日の目的地まで歩いた歩数は
いったいどのくらいになるのだろうか。
また、これまでどのくらいの人間の話を聞き、
どのくらいの人のお世話になったのか計り知れない。
人から人に思いを伝える。運動ならそれで終わってしまい
かねないが、平和巡礼の物語には終わりはない。
今年は原爆投下から59年目。
合掌


「核のない未来へ〜国際平和巡礼」その12 人形峠に向かって

ウランの最大の輸出国・オーストラリアから広島・長崎まで歩きながら、核廃絶や先住民族の
権利回復、平和などを訴えている「国際平和巡礼」。
日本で唯一、ウランが採掘されていた人形峠に向けて山間の道を進む。
車のバックミラーには、摂氏30度を越える中を
一歩一歩、広島・長崎に向かって歩く巡礼団が映っていた。



「核のない未来へ〜国際平和巡礼」その11 原発前での訴え

ウランの最大の輸出国・オーストラリアから広島・長崎まで歩きながら、核廃絶や先住民族の
権利回復、平和などを訴えている「国際平和巡礼」。
原発銀座と称される若狭湾。その一つ、福井県美浜原発を訪れた際に、
ゲート前で原子力発電の廃止の祈りを捧げた。
この直後、原発の建物の写真を撮影しよと何回もシャッターを切るが、
露出オーバーで建物の写真は写らないという怪現象が起きた。
マニュアル露出で絞りリングを絞っても更に露出オーバーだった。
光学的に考えられない現象だ。
撮影データはASA200、シャッター速度500分の1、絞りF13。これで
露出オーバーは到底考えられない。


「核のない未来へ〜国際平和巡礼」その10 雨にも負けず・・・

ウランの最大の輸出国・オーストラリアから広島・長崎まで歩きながら、核廃絶や先住民族の
権利回復、平和などを訴えている「国際平和巡礼」。
折りしも季節は梅雨真っ只中。傘をさしたり、合羽・ポンチョを着込みながら巡礼は続く。
宮沢賢治の詩「雨にも負けず」さながらのウォークだ。
広島・長崎まで残り約1ヶ月ちょっと。頑張れ!



「核のない未来へ〜国際平和巡礼」その9 朝、出発前のサークル

ウランの最大の輸出国・オーストラリアから広島・長崎まで歩きながら、核廃絶や先住民族の
権利回復、平和を訴えている「国際平和巡礼」。
一日の巡礼が始まる前、サークルを作りお互いにこれまで起こった
わだかまりなどを解消するために抱き合っていく。
平和への祈りを一人ひとり紡いでいくために「和解」は欠かせない。








6月9日から13日までの5日間にわたり行われたYosakoiソーラン祭り。
今年で13回目となり、333チーム、約4万3千人が札幌市中心部の大通会場を中心に熱演を繰り広げた。
大賞は、「新琴似 天舞龍神」(中央写真)が受賞した。
(掲載期間2004.06.15-06.22)


「核のない未来へ〜国際平和巡礼」その8 支援者と行進

ウランの最大の輸出国・オーストラリアから広島・長崎まで歩きながら、核廃絶や先住民族の
権利回復、平和を訴えている「国際平和巡礼」。
巡礼先では支援者も一緒になって市内を行進する光景が見られる。
一日の巡礼後に受け入れ先では暖かいもてなし、交流会が用意されていることが多く、
疲れた体は癒され、心も豊かになっていく。
(掲載期間2004.05.25-06.15)
素っ裸のお尻にNo Bushと書いてマラソンを楽しむ参加する参加者

素っ裸でも真面目!?にアピール「No Bush」


米国サンフランシスコで5月16日に行われたファン・マラソン大会"Bay to Breakers 2004"。
この日は朝から好天に恵まれ、午前8時にスタートが切られた。
参加者は6万人以上だったため、後方はごく普通にスタートラインを超えるだけで10分以上もかかった。

このマラソンは写真を見ていただけるとわかるようにちょっとユニークな大会に
なっている。ムカデ競争のように5人以上のチームが綱などで一緒になって
ゴールまで走ったり、きらびやかな衣装や、ん?と思うような衣装を着たり、
何も身に着けずにすっぽんぽんという有り様。
沿道もお祭り騒ぎ。ロックバンドが現れたり、子どもたちの
いたずらにも似た水鉄砲の「祝福」があったりと、まさに「見る阿呆に走る阿呆」という有り様だ。

しかし、「No Bush!」とお尻にマジックインキで書き込んで政治アピール
をする真面目!?な参加者がいることもお忘れなく。
(掲載期間2004.05.17-05.25)


「核のない未来へ〜国際平和巡礼」その7 ちょっと失礼、一休み

ウランの最大の輸出国・オーストラリアから広島・長崎まで歩きながら、核廃絶や先住民族の
権利回復、平和を訴えている「国際平和巡礼」。
5−7キロごとに休憩を取りながら一日30キロ前後歩く。歩き始めて一月経つと
疲労がかなり蓄積しはじめるためか、足を上げて少しでも乳酸を下げようと
工夫する光景が見られるようになってきた。
(掲載期間2004・05・14−05・17)


「核のない未来へ〜国際平和巡礼」その6 田園を歩く

ウランの最大の輸出国・オーストラリアから広島・長崎まで歩きながら、核廃絶や先住民族の
権利回復、平和を訴えている「国際平和巡礼」。
東北地方も田植えの準備が整い、田に張られた水に巡礼団の歩く姿が反射する。
朝夕は涼しいが、さすがに日中は軽く汗ばむ。日焼け止めクリームが欠かせなくなってきた。
下の写真は岩手県矢巾町で
(掲載期間2004.05.07-05.14)


「核のない未来へ〜国際平和巡礼」その5 桜を愛でながら

ウランの最大の輸出国・オーストラリアから広島・長崎まで歩きながら、核廃絶や先住民族の
権利回復、平和を訴えている「国際平和巡礼」。
北上する桜前線と逆に南下する行進が進むものの、ここ数日、霜が降りるほどの寒さが続いている。
そのせいか、「サムイデスネ」の日本語のアクセントも様になってきた。
下の写真は岩手県二戸市内
(掲載期間2004.05.03-05.07)
国際平和巡礼の一行はアボリジニの旗を先頭に北海道・駒ヶ岳を背景に進む

「核のない未来へ〜国際平和巡礼」その4 ひたすら歩く

ウランの最大の輸出国・オーストラリアから広島・長崎まで歩きながら、核廃絶や先住民族の
権利回復、平和を訴えている「国際平和巡礼」。アボリジニの旗を先頭に行進は続く。アイヌ民族から
贈られたイナウも手にしながら広島・長崎を目指す。巡礼中は「ノーアルコール」
「ノーバイオレンス」「ノードラッグ」の三原則を厳守している。
背景の山は北海道・駒ヶ岳
(掲載期間2004.04.29-05.03)
平和巡礼が無事に行われるようにアイヌ民族はカムイノミで祈りを捧げた

「核のない未来へ〜国際平和巡礼」その3 カムイノミ

ウランの最大の輸出国・オーストラリアから広島・長崎まで歩きながら、核廃絶や先住民族の
権利回復、平和を訴えている「国際平和巡礼」。日本の出発に先立って、
札幌市南区のアイヌ文化交流センターの伝統的な家(チセ)で、巡礼の無事と成功を祈るため、
アイヌ民族はアボリジニのスピーディー・マクギネスさんら一行代表にカムイノミ(神への祈り)を捧げた。
(掲載期間2004.04.25-04.29)



「核のない未来へ〜国際平和巡礼」その2

ウランの最大の輸出国・オーストラリアから広島・長崎まで歩きながら、核廃絶や先住民族の
権利回復、平和を訴えている「国際平和巡礼」。札幌の文化交流会でアボリジニのスピーディー・マクギネスさん
は、聖地で行われた核実験で被爆し、失明しながらも生き残った仲間を取り上げた新聞を示した。
「私たちの大地からウランが掘られ、様々な兵器に利用されて、たくさんの人間が殺されています。
本当にもうしわけありません」と何度も頭を下げた。アボリジニは土地、文化、言葉を
奪われ、逆に謝罪を受ける側にいるにもかかわらず、「政府や鉱山開発を止められないのは自分たちの
無力さからなのだ」と話している。
(掲載期間2004.04.22-04.25)


「核のない未来へ〜国際平和巡礼」

核の原料ウランの産地・オーストラリアから広島・長崎までの
約5000キロを歩くためにアボリジニの長老と賛同の若者たちが日本に到着した。
世界有数のウラン鉱山のある豪・ロックスビーダウンズを出発したのは昨年12月10日。
オーストラリア国内約2400キロ歩いた後、空路で日本入りした。
巡礼団は4月15日の札幌から、原爆が投下された8月9日の長崎を目指して歩く。
札幌入りした若者は13日夜、宿泊先の東本願寺北海道青少年センターで
ラップ音楽に合わせた反核の歌で盛り上がり、最後にピースサインをかかげた
(掲載期間2004.04.13-04.22)


「時代の証言〜木の根に覆われる米軍揚陸艇」

太平洋戦争の激戦地、ソロモン諸島。日本軍の空港建設を阻止するために反攻に使われた
多数の米軍揚陸艇は「血染めの浜」近くに捨て置かれた。
激戦から62年。あたかも鉄に養分があるように木の根は揚陸艇を覆い尽くしていた。
(掲載期間2004.03.27-2004.04.13)




「反戦・平和を願い行進〜イラク侵攻から1年」

米英軍がイラクを空爆して2004年3月20日でちょうど1年。
世界同時行動の一環として札幌でも約5000人が集まり、
自衛隊派兵の中止、イラク占領の中止、撤退などを訴えた。
(掲載期間2004.03.20-2004.03.27)


「ストップ、地球温暖化」

南太平洋のソロモン諸島ガダルカナル島。太平洋戦争で日本軍と米軍が初めて地上戦を交えた悲劇の島だ。
生存率はわずかに10%という激戦地。
しかし戦死者のほとんどが餓死者だったため、頭文字をとって「餓(ガ)島」とも呼ばれた。
玉砕した日本軍の兵士の死体が累々と続いたため「血染め浜」と呼ばれる浜辺は今、
地球温暖化の影響を受けて狭まり続ける。
日本軍の戦争遺跡も今は陸上になく、海に浮かぶ。
(掲載期間2004.03.13-2004.03.20)


「忘れられた戦争」
朝日新聞・アエラ(02.6.24)掲載
パプア・ニューギニアからの独立を求め、10年近い内戦が行われたブーゲンビル島。
16万人の島民のうち2万人が死に、8万人が国内難民となった。
01年に和平協定が結ばれ、翌年3月より国連の監視により武器が回収されていった。
(掲載期間2004.02-2004.03.13)

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