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| メラネシアで考える |
| 第一話「パプア・ニューギニア」の歴史教科書から「つくる会」の検定教科書問題を考える |
日本の現行の歴史教科書を自虐的と批判する「新しい歴史教科書をつくる会」が中心になり編集した教科書の検定をめぐって、国内外から様ざまな批判が繰り広げられている。歴史を歪曲することは「愚の骨頂」だが、果たして日本の学校教育の中で、どれだけ太平洋戦争当時の様子を伝えているのだろうか。 2月はパプア・ニューギニアのフリ族の取材に出かけていた。南西ハイランド州のタリという町で2週間ほど現地の民族、風習、文化などを取材したあと、ニューギニア島最東端のアロタウという町の協力隊員の家でお世話になった。彼は日本でいう高校や大学に進学する生徒(予科)に理数科を教えている。 久しぶり会い、明け方まで話が弾んだ。その時に、一枚の手紙を見せてもらったのが始まりだった。 毎年、遺族会や戦友会などの慰霊団が同地を訪れている。その時の代表が訪問後、戦友や肉親がどこで戦死したかを調べており、ついては手伝ってくれないかという内容だった。 彼はこの地に日本軍が上陸し、オーストラリア軍と戦火を交えたことを知らなかったという。「当時の歴史を知らなかったので、とても恥ずかしかった」とも語った。 ソロモン海戦、ガダルカナル島の激闘、ラバウル航空隊はよく知られているが、ニューギニア戦線に関しては歴史の中に埋もれかけている。 中国戦線や東南アジアでの日本軍の蛮行などはよくしられているが、メラネシア戦線に関してはあまり、とりあげられないし、ソロモン諸島政府、パプア・ニューギニア政府も問題として取り上げていないという理由もある。 真夜中だったが、「第二次世界大戦の日本軍に関する教科書があるんだけど」と彼が口を開いた。「表紙に天皇の写真が使われていて・・・」。できれば今すぐ読みたいと思い、懐中電灯の明かりを頼りに職員室に向かった。 教科書はA4サイズで英語で全25ページ。タイトルは「日本帝国主義の勃興と太平洋戦争」とあり、「天皇裕仁」と説明がついた上半身の写真が表紙に使われている。日本でいう高校2年生の時に使われるもので、5部構成となっている。 ここでは細かい内容は省くが、ペリーの黒船来航から明治維新、日清・日露戦争、第一大戦、世界恐慌、ABCD包囲網から真珠湾攻撃、パプアニューギニア戦線、戦後の東南アジアなどの独立までが、歴史事実と経過が写真、地図を使って淡々と書かれている。当然のことながら、同国と太平洋戦争との関わりは全体の3分の1を割いて説明している。 教科書はものの見事なほど、客観的な事実を積み重ねている。なぜ、日本軍はパプア・ニューギニアを戦略的に攻略しなければならなかったのか。日本軍にどのように原住民が徴用され、手伝わされたのか。当時のオーストラリア軍は自国民に対してどのような振る舞いを行ってきたか、また、対照的にアメリカ軍はどう、自国民を同等に扱ってきたかなどだ。 また、日本では真珠湾攻撃が太平洋戦争の幕開けのように教えられているが、同教科書では当時、中立を保っていたタイ南部に真珠湾攻撃より早く奇襲攻撃が行われていることも、もらさず伝えている。 (余談になるが、当時のオーストラリアは白豪主義をとっていたため、黒人のメラネシア住民を下等人種としてあつかい、荷役業務の給与もすずめの涙ほどを支払っていたのに対し、アメリカ軍は白人、黒人と分け隔てなく、荷役に対する対価として支払っていた。ソロモン諸島でも原住民は同じような待遇の差をまのあたりにしており、多大な影響を米軍から受けている。ソロモンでは戦後の脱植民地(白人支配からの脱却)運動「マルシナルル」へとつながっていったが、パプア・ニューギニアのマヌス島で同じような運動が起こっていることも併記されている) 近く、全文翻訳をして紹介するが、私たちは意識するしないは別としても歴史を背負っている。世代は変わっても、日本に侵略を受けた側はきちんと歴史を客観的に留め、伝えている。今回のパプア・ニューギニアの教科書で驚かされたのは、「さぞかし日本のことを悪く書いているのかな」と思った私も馬鹿であったが、中傷的な言語や感傷的な言語はひとつもない。さっと読み終えたあと、そんなことを考えていたことが恥ずかしく思えた。 パプア・ニューギニアを旅していると、知り合った人たちからよく質問というか感想を求められることがある。「どうして日本軍は負けたのか。勝っていれば自分たちの暮らしもよくなったのに」と質される。私はそのたびに「困惑」するのだが、歴史経過や当時の日本や日本軍のことなども説明し、「負けてよかった。このまま勝っていたら、きっとあなたたちはオーストラリア以上に私たちを憎んだだろうし、お互いに不幸になっていただろう」と話す。 パプア・ニューギニアやソロモン諸島には義務教育制度はない。こうした歴史を学校教育の中できちんと学べるのは数パーセントしかいない。その上にあぐらをかき、歴史を美化したり捻じ曲げようとする動きには敏感でありつづけたい。 |
| 第2話 地名について |
北海道で暮らしていると、異文化や異なった民族の存在を意識することが多い。 もともと北海道は先住民族アイヌの土地で、「アイヌモシリ」と呼ばれる。明治維新後、政府は「開拓」という名の下に北海道を侵略、アイヌ民族から土地、言葉、文化などを奪ってきた。しかし、新しい土地に名前を付ける際にはアイヌ語地名だけは残った。 音威子府(おといねっぷ)、国後(くなしり)、知床(しれとこ)、網走(あばしり)、訓子府(くんねっぷ)、温根沼(おんねとー)、厚岸(あっけし)、和寒(わっさむ)、長万部(おしゃまんべ)、花畔(ばんなぐろ)などなど。 日本にとって「新しい土地」に全部日本語を付けるのは不可能だったという理由がある。現在の北海道の地名の85パーセントはアイヌ語からできあがっている。漢字を無理矢理、アイヌ語に当てはめているため、読みづらいのは無理もない。 このように異なる民族の地を収奪したものの、地名だけは残している国は、何も日本だけではない。南北アメリカやオーストラリアには先住民族の言語による地名が数多く、残っている。 それではメラネシアの世界ではどうだろうか。 イリアンジャヤ(西パプア)の山岳地帯にワメナという町がある。このワメナの意味を昨年、ジャングルで一ヶ月過ごしたガイド(彼はヤリ族でワメナ近郊の出身)がおもしろおかしく、説明した。ワメナ一帯が私たちの歴史上に登場するのは今から約70年前。ここには人はいないと言われ、冒険家すらそれまで足を踏み入れてはいない。それまでまさに石器時代さながらの生活が営まれていた。 ある時、この辺りの地名を付けようとオランダの植民者がやってきたという。指さしながら「ここは何という地名なのだ」とオランダ語で叫ぶ。先住民は言葉を理解していない。さらに「何ていうんだ」と問いつめた。先住民が彼の指先を追うと小豚の群が見えた。「ああ、彼は小豚の群のことを何て私らの言葉でいうのか聞いているんだな」と合点し、「ワッ・メナ」と答えたという。 ヴァヌアツの最南端のタンナ島。大航海時代に探検家が「新しい島」を見つけたとして、上陸した後、原住民に「ここはどこか」と質問した。質問の意味や言葉など原住民にわかるはずもない。なおもしつこく「ここはどこだ、ここはどこだ」と探検家は人差し指を下向きに指しながら質問を浴びせた。指の先には地面があるので、原住民はてっきり「ああ、土地とか大地という意味を知りたいのだな」と解釈して「タンナ(大地、土地という意)」と答えたというエピソードが残っている。 すなわち原住民が使っていた地名とは関係なく、ただ単に指さされた名詞(豚とか土地)が地名とされてしまった例は多いようだ。 もっとも日本も同じような例がある。地名ではないが、札幌在住のアイヌから聞いた話だ。昔、昔、今でいう札幌の町の豊平川沿いを江戸からの使者が歩いていた。アイヌ民族が保存食とするために鮭を大量に干していた。この使者は鮭のことをアイヌ語で何というのか聞こうとして指をさした。和人の話す言葉を理解できないアイヌはさしずめ「何を言っているのか」と思ったに違いない。なおも干した鮭を指さしながら質問を続けたという。その場にいたアイヌは「ははあ、さては鮭を干すことを何というのかを聞いている」と機転を効かせ「サッ(乾いた、干すという意)」と答えた。最後の音がうまく聞き取れなかったが、彼の耳には「サッ(ケ)」と聞こえたのかもしれない。それ以来、日本語の鮭はサケと呼ばれるようになったという逸話すらできあがっている。 見知らぬ文化や言葉を学ぶことはいいことだが、「指さし」には注意を払う必要がどうもありそうだ。 |
| 第3話 アイヌ民族の口琴楽器「ムックリ」 |
| アイヌ民族の話を前回したので、今回も引き続きする。 アイヌ民族はムックリと呼ばれる竹製の口琴楽器を伝統文化の一つとして受け継いでいる。おおよそ幅1センチ長さ15センチ厚さ2ミリほどでの平らの竹の中央部に、糸を引くと振動するように細長い切れ目が入っている。そのムックリを口にあて、片端からのびている糸をひき、口の中の大きさを変えたり、喉を開いたり、息を吹いたり吸ったりすると、変幻自在の音が奏でられる仕組みとなっている。 雨音、蛙の鳴き声、、虫の声、風の囁く音なども表現できるが、これが難しい。というより最初は音すら出ない。ビヨーン、ビヨーンという振動すらさせられないのだ。何回も挫折する代物だ。 阿寒コタンの土産物屋に糸を引く代わりに、片端を弾いて振動させることができるニューバージョン?のムックリが売っていた。これまでの苦労はいったい何だったんだろうかというぐらい、同じ音が造作もなく出る。得意げになって「ビヨーン、ビョーン、ビョン」と即興作曲家兼演奏家さながら、楽曲作りしてしまうほどだ。 昨年10月、イリアンジャヤの南部低地地帯のジャングルの中で、木の上に家を作り生活する先住民を取材していた時、聞き覚えのある「ビヨーン」という振動音が聞こえてきた。似たような楽器はフィリピン、中央アジアなどにあるとは聞いていたが、まさかメラネシア世界にあろうとはそれまで思っても見なかった。 形状と演奏方法に多少の違いはある。直径2センチほどの竹を節を片方だけ残し、半円筒型に割く。節の部分は演奏する際に必要なひもを付けやすいように凸型に、反対側は万年筆のペン先のように削っていく。ペン先は割れ目が中央に一つある。この口琴楽器は二つあり、中央部は細い平らな竹籤(ひご)状になっていると想像してもらえればよい。この部分が振動する部分だ。ムックリの場合、ひもは外側に引くが、ここでは内側に引き、竹に当てるようにする。あとはムックリ同じ演奏の仕方だ。 ジャングルの民、コロアイ族はこの口琴楽器のことを「コン・ビヨーン」という。いつも「ビヨーン、びょーん、ビヨン」と私は音で表現していたので、この名前は覚えやすかった。音の響きから付いたのだろうかと、勝手に想像してしまった。 まったく同じような楽器がパプア・ニューギニア側の南西ハイランド州の山岳高地民族、フリ族も使用していた。形もそっくりで、しいて違いをあげるとすれば、ペン先がひもで縛られているくらいだ。フリ族はこの楽器を「ヒリ・ジュラ」と呼んでいる。同じニューギニア島とはいえ、一方は標高2500メートル以上の民、もう一方は低地ジャングルの民。どのように楽器が伝播していったのかを考えるとぞくぞくする。イリアンジャヤ側の山岳高地民族、ヤリ、ダニはアイヌ民族と同じ形状の口琴楽器を使用していると聞いた。 日本列島の北端とニューギニア島。これらの口琴のルーツはどこかと特定することは、ここでは意味がない。しかし、オリジナルがどのように伝播していったのかを考えると不思議にも思える。日本列島でアイヌ民族以外に口琴楽器を使う伝統を持っている地域を聞いたことがない。とすれば北ルートでアイヌ民族に伝わってきた可能性もある。ひょっとしたら直接、北海道・アイヌモシリから南方へ(またその逆も可)の交易をしていたのかもしれない。あるいは文化の同時発生で偶然に同じような楽器を作り上げたのかもしれない。 一つの楽器を見て考えるだけでも、悠久と続く人間の営みを感じいってしまうものだ。 |
| 第4話 君の名は? |
| アフリカもそうかもしれない。しかし、少なくともメラネシアの世界を旅していると、ジェームスさん、ヤコブさん、ジェファーソンさん、ミヒャエルさんなどの名前を持つ原住民に出あう。メラネシアの国・地域では名前は西洋化されてしまっている。 何が変?と思われる方もいるかもしれない。例えば君の名前が山田太郎としよう。日本ではごくごく普通の名前で、せいぜい、「古めかしい滑稽な名前だな」と思われるぐらいだ。しかしヨハン・シュトラウスさんだったらどうか? 周りはあなたが二世なのか、実は日系人でアメリカなどからやってきているのではないかなどと考えてしまうことだろう。 メラネシアに住む人々には当然、固有の名前はあった。しかし、植民地で強引にキリスト教化させられた結果、改名させられてしまった。伝統的な現地語の名前を持つ人に出会うのは難しい。多くはキリスト教徒にさせられる時に、ヨハネスとか、ヤコブとか聖書からとった名前が使われている。 創始改名をさせてしまうというのは植民地主義の時代にはよくあったことだし、日本も他国のことは批判できない立場にはある。朝鮮半島を併合の際にも創始改名を強制したし、アイヌ民族にも勝手に名前をつけたのだから。 パプア・ニューギニアの南西ハイランド州のフリ族を取材したときに、伝統的な名前の付け方を聞くことができた。 「親の名前の一部を使う」「場所などを名前に盛り込む」「復讐を誓わせる」など。 初めの「親の名前・・・」は言わずもがなで、分かる。例えば高橋家康の息子の名前が家光みたいなものだ。 「場所などを名前に盛り込む」とはいったい、どういうことなのか。 HOMOKO(ホモコ)という名前がある。これは「豊かな人」という意味だ。生まれた実家にはたくさんのヤムイモ畑があり、たわわに実るマンゴ、バナナの木があり、広大な土地を所有しているということを示しているという。 さらにくわしく、日本語でいうと「川のそばに椰子の木が3本ある」などの状況説明されている言葉がつくこともある。もちろん長い名前になるので、あとは子守歌代わりにエピソードを聞かせるという。 こうした名前は将来、遺産を受け継ぐために土地の状況を名前に託して覚えてもらうための手段だ。子供が大きくなり父親も死に、遺産の土地を見に行った時に、見知らぬ人が住み着いている場合がある。そうしたときにその名前と伝承が大きく役に立つのだ。その土地がどうして自分のものなのか、名前、場所の説明ではっきりさせることができるからだ。これは調べていないので、迂闊なことはいえないが、「裁判になっても有効な資料・証拠となる」とタリ教育大学でマネージメントを受け持つジェームスさんは説明する。彼らは文字を持たないので、口承で物事を伝えていく智恵がより発達したのだろう。 最後の「復讐を誓わせる」とは、生まれてくる前に父親が敵に殺された場合、名付けられることが多いという。 なにやら血なまぐさい話しだが、POLE(ポレ)=将来、(父を殺した)敵を皆殺しにせよとか、PEPE(ペペ)=将来、復讐せよ、が一般的な名前で、結構、多い。こうした場合、母親または親類が大きくなったら、子供に父親の敵をとってもらいたいという意味を込めてつけるのだという。 (ここの部族は戦闘的で現在でも日常茶飯事にあらゆることを原因にして弓矢や手製の銃で部族内で殺し合っている。このことに関しては後日、詳しくルポを載せることにする) そういえば、数年前、日本で「悪魔」ちゃんという名前を届け出たが受理されずに、名無しのゴンベイ状態が続いているということが報道された。いろいろな名前の付け方から果ては戸籍のあり方をめぐる話しにまで広がった。 「悪魔」ちゃんという名前が適切なのかどうかはわからないが、パプアだったら絶対に許されない名前だったろう。 やはり名前は文化なのだ。 |
| 第5話 ワントーク |
メラネシアを旅していると、乞食や路上生活者が目につかない。豊かさの指数は必ずしも国民総生産(GNP)や国内総生産(GDP)の高低だけではないが、メラネシアは低い。いわゆる貧しい国に属する。 隣のエリア、東南アジアはメラネシアと同じようなGNP・GDPだ。にもかかわらず物ごい、路上生活者、ストリートチルドレンがいやというほど目につく。あまりにも違いがありすぎる。 メラネシアではバナナやヤム・タロなど豊富に採れるため、働かなくても食べることに困らない。がそれだけではない理由の一つにワントークというシステムの存在がある。 ワントークとはピジン語でWan Tok(一つの言葉、すなわち同じ言葉を話す同族という意味)で、英語のOne talkから来ている。一族郎党の血縁集団による人間関係といってしまったほうが分かりやすいかもしれない。日本でいうところの親子・夫婦・兄弟姉妹・親類・縁者の関係だ。たとえが悪いが、この関係にヤクザの兄弟仁義のメンタリティーを加えたものと理解してもらってもよい。 ソロモン諸島の首都ホニアラ。ワントークを頼り、多数のマライタ島出身者が出稼ぎにきている。主要な職業に就いているほか、土地を不法に占拠したりもしている。3年前、怒ったガダルカナル島民は武装組織をつくり、島から追い出しにかかるという事件に発展。「民族(部族)」紛争となり多数の死傷者と悲劇を国にもたらした。 ホニアラにはそれほど数はないが観光ホテルがある。従業員宿舎を完備しているところもある。この紛争中、マライタ島出身者はホテルに勤めるワントークを頼り、身を潜めていたという。あるとき、用事で宿舎を訪れたアジア系従業員は一部屋に十人近い親類が身を寄せ合っていたのを見つけたという。「困っているワントークがいれば助けるのは当たり前だ」といわれ、追い出すことができなかったという。 パプアニューギニア本島最東部の町アロタウ。この町で高校教師をしている一人は島出身者だ。毎週、島から若者が捕れたての魚を持参してくるという。遊びに来るといえば聞こえはいいが、小遣いを無心するのが目的だ。先生はこの件で特に文句はない。仮に文句を言おうとしても、言えないという理由もある。 貧しい地区では優秀なワントークの子どもがいるとお金を出し合ってさらに上の学校に通わせることが多い。先生はこの恩恵にあずかってきた。だからこうしたことに文句を言おうものなら、「だれのおかげで学校に行けたんだと思っているんだ」と言い返されるのがおち。 しかし先生の給料は月に500キナ(約2万円)ほど。島から毎週一人は若者が出てくる。そのたびにお小遣いとして五十キナを渡すので、実際、先生の手元に残るのは半分も満たない。やはり日本人の感覚なら文句の一つや二つもでてきそうなところだ。 先生が困ったり、働けなくなったりすれば、無心にきていた若者が先生の面倒を見たりするので、「お互いさま」という感覚のようだ。 このため個人主義という考え方は否定されているが、システムだけに目を向けると人間的だ。お金に惑わされず、損得で生きていない部分を感じるからだろう。 ヴァヌアツやパプアニューギニアの山中で車いすに乗った障害者を見かけた。場所も不便で道も舗装されていない場所だ。障害者をどのような目で見て、扱っているかは詳しくわからないが、少なくとも行政には余裕はなく、ワントークが支えて面倒を見ている。 このようにワントークはメラネシア社会では重要な役割を担っている。が、ここにきて崩れ始めていることも伝えておかなければならない。 金目当てを目的にした強盗や殺人事件がソロモン、パプアの首都で増加している。急激な社会変革による貨幣経済の浸透の「成果」でもある。お金は「損得勘定」の最たる考え方だ。不相応の金の流入は人を狂わせる。いずれワントークの良いシステムは過去のものとなるのだろう。ワントークによる山賊も出てき始めているという。伝統はどこまでお金の魔力に抗することができるのか。むなしい闘いが始まっている。 |